大津いじめ事件での加害者たたきに見受けられる醜さ

大津のいじめ事件ってのでけっこう盛り上がってる(いた?)みたいですね。
個人的にこういう話題に一切興味が無いんですが、さすがにいろんな人がこの話をするしネットでも燃え盛ってるようなのでとりあえず事実関係はさらっと見てみました。

いじめを受けた子が悲惨ないじめの末自殺し、それに対する加害者や担任、学校の対応がいろいろとまずかったようでネット上で炎上。加害者、担任などの個人情報がガンガンさらされる、という流れのようですね。

個人情報をさらすということに対してやりすぎだ!という声もでているようですが、これに関しては僕はそこまで批判しようという気はありません。
いじめっ子が社会的いじめに合うことでカタルシスを感じる人がいることは理解できますし、いわゆる「悪人」が更生する可能性は低いことからもはや社会的に抹殺しようとする考えもわからないではありません(一度罪を犯した人たちの再犯率の圧倒的な高さを見ても、いわゆる「悪人」の思考の流れや環境などが社会的に負の影響を与えるような方向に固定されてしまっている可能性は高いでしょう)。
ただし、事実関係を確認せずにあることないことを垂れ流す人たちは批判されるべきです。まあこれに関しては誰もが思うことでしょう。実際全く間違った情報も色々と出回っていたようで、これに関しては徹底的に断罪されるべきです。



さて、このいじめに関して僕が感じたのは、いじめを叩くほとんどの人に見受けられるナルシシズムがとても醜いということです。

加害者を叩くのもいじめなんじゃないの?という問いに対して彼らは「俺らは処罰されない悪人を裁いてるんだ」「いじめの抑止力になってるんだ」といった風に答えます。
まあここまでひどいのは少ないとしても、叩くことは正しいことだと考えている人は多数いるでしょう。

先ほど言いましたが僕は叩き自体についてはそこまで批判しようとは思いません。僕が醜いと感じているのは、叩く人のほとんどは自分の怒りを叩くことで解消しようとしているだけなのにそれを「いじめの抑止力」「悪人裁き」といった大義名分で覆い隠している、という事実です。


彼らは本当にいじめの抑止力になろうとしているんでしょうか?裁かれない悪人を裁こうとしているのでしょうか?

そんなことは絶対にありません。
もしそうならなぜ大津の事件でしか彼らは活動しないのでしょうか。
いじめに関する各種統計や過去の事例について調べたりしているでしょうか。
過去に数多く存在したであろう類似の事件について同じように調査をしているでしょうか。
いじめが発生する構造的な問題点などについて真剣に考えているのでしょうか。

結局彼らは自分が感じた不快さを解消するために叩いているだけなのです。
そしてさらに驚くべきことは、自分が大義名分のために動いていると信じきっている人が少なからず存在することです。

まあただ単にこうやっていつものように事件を消費してるってだけですけどね。こんな感じで次にデカイ事件が起きると大津いじめ事件は忘れ去られていくことでしょう。へいわっすわー。